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さて、稿を分けてお届けする、執筆に関してのコーナーです。

プロフィールにも記してありますが、私は元々同人誌を出していた同人小説家でした。あくまで二次創作ですので難易度というかハードルは低いですし、マーケットがそこにある、要するに「出せば少なからずは出る」のが分かっている状態での同人出版でしたので、結構楽しかったのを覚えています。

昔の在庫を取っておけばなぁ。

せっかくしっかりと製本した小説が3本あったのですが、実は著者の私の手元には、その本自体は現存していません。

引っ越しやら躁転やらで色々やっているうちに、廃棄してしまったようなんですよね、イマイチはっきりした記憶は無いのですが。

 

そのうちの1冊、初めての同人誌は、プロフィール記載の「好きになってしまった相手」に表紙絵を付けてもらった特別な1冊でした。カット絵の奥付への差し込みもあったりして、まさに『特別な1冊』だったんですが、やっぱり当時は失恋の痛手の方が大きくて、見るのが辛かった、というのもありました。今思えば「思い出」ですので、是非あれば良かったのになぁと思うんですが、消失してしまった物はどうしようもありません。一応、当時のスキャナでスキャンしたデジタルデータ、また版の原稿となるトンボ付きの稿データ自体は残っているのですが、当時「パーソナル編集長」というソフトで組版していたのですが、当時のパーソナル編集長を今のWindows10に入れようとしても、入らないんですよね、エラーが出てしまって。何せ、今からざっくり20年近く前のソフトにもなるので、まぁ互換性ウィザードを使ってインストールしても、文字が上手く表示されずにダメでした。

 

パーソナル編集長、というソフト自体は今でも開発が継続されている(会社は変わっていますが)ので、過去のログを取り出す事は不可能ではありません。ただ、そこまでして単なるデジタルデータを取り出す意義はあるか、と思うと、最新版のパーソナル編集長を買う気にもなれない、というのが現時点での気持ちです。これで1冊でも商業出版に成功すれば、過去の「蓄積」みたいな感じのものを取り出すのも悪くない様にも思いますし、「今こんなに売れてる私も、最初はこんなだったんだよ!」と、胸を張って後人に示すこと、という意義もあるのでやる気も起きますが、自分がまだ新人賞取れてない時点では未だその『同人誌書きの延長』の地平に今いる訳ですので、意義を見いだしがたいのです。

 

因みに、あの頃からそこそこ長いストーリーを組むのが好きでしたね。長いと言ってもせいぜい60ページ2段組のB5版かな、そのくらいの代物ですが、短編は苦手でしたし、今でも苦手意識があります。短く端的に、かつメリハリを利かせたストーリーを組む練習、というのはいつかした方が良いだろう、絶対役に立つはずだ、なんて思ってはいますが、実際にそのプロセスに着手した事は過去に1度しかありません。と言うか、掌編以上で短編未満かなぁ、という程度の長さの「プチ小説」は、誰か実在の友人を主人公にして書いたりしたような記憶があったりしますが、それについてはデータも無いです。うーん、どこやったんだろうなぁ、昔のデータを保存したCD-R保管庫にアクセスすれば出てくるのかも知れませんが、それする位だったら新作書く方に力を注ぎたいですね。

 

で、一番最近の新人賞応募作品。これは短編小説だったんですが、すんなり下読み(予選みたいなもの)の段階で振るい落とされました。そのもう一つ前の小説が、長編小説でした。これについては、新人賞と言っても「もれなく編集さんのコメントが誌面でもらえる」という理由で、必死になって最後まで書いた覚えがあります。賞の名前は忘れましたが、京極夏彦さんがデビューするにあたり新設されただかとか、なんだかそんなエピソードをおぼろげに覚えている「長文専用」の新人賞です。

 

長編小説だから、と言うわけではありませんが、自分の出せる全ての力を注ぎ込んで書いていたのを覚えています。当時はマクドナルドが私の書斎で、ポメラという電子メモデバイス(キーボードが付いた、ネット接続など出来ないという、執筆集中にはまさにうってつけのデバイスです)でもってせっせと小説を書いていましたねぇ。今ではポメラからMacBookProへとデバイスは進化し、粗いドットの文字ではなくRetinaディスプレイで表示される至極綺麗なフォントを眺めながら作業が出来ていますが、やはり一度「良いもの」を使ってしまうとロールバックは出来ませんね(苦笑)。因みにRetinaディスプレイにハマったのは、妻用として2012年にMBPのRetinaディスプレイモデルを我が家に導入し、その綺麗さに惚れ惚れしてしまったところからです。今でこそWin機でも4Kディスプレイの恩恵に与れる時代になっていますが(実際私のPCのディスプレイは4K相当です)、昔はRetinaディスプレイだけが、民生機としては高解像度対応のディスプレイでしたから。やっぱり憧れました。当時パチンコで大勝した際に導入したMacBookAirの液晶と並べて比べて愕然としたりして(笑)。今ではMBPも小型のが出てくれて、ようやく外出用としての導入が出来る様になったので、今はその愛機を大事に使っています。

 

まぁ、さすがにMBPに付いては「市場価値」が確立されているので、債権者が強制執行に踏み出せばまず仕留められてしまうであろう代物だと思いますが、それまでの間は、大事に使いたいと思います。

しかしなかなか腰が重い。

執筆、というのは、まず真っ白な紙面に対して向き合う、というところから始まります。これが実に難行苦行だったりします。

既に爆発的なアイデアがあるだとか、または同人誌の様に書く事の外枠が予め決まっていれば、書き出すのもそれ程難しい訳ではありません。昔よく言った「萌え」に任せてタイピングしていけば、自然と作品になっていくのが同人誌の世界ですから。

 

けれど、完全オリジナルの小説を書く、となると、まずプロットを作るところから入ります。あらすじよりも粗い、骨組みの様なものです。これもまた「真っ白な紙面に対して向き合う」と言う点には全く変わりが無いので、これがとにかく大変です。商業小説家の方々でも、真っ白な原稿用紙に向かうというのは相当大変だ、という話をまとめた1冊の本を持っているのですが、実際にメジャーデビューを果たした方々であってもここまで苦悩されるのが「真っ白な紙面」なんだな、というのがまさに現実です。書きたい、という気持ちがあっても、それを簡単にくじく程度には、真っ白な紙面って恐ろしいものです。

 

ですので、まだ私の場合、プロット以前の問題としてパッションが復活と言うか、同人時代並にまで達していないので、「とにかく書くんだ!」みたいな無鉄砲な勢いというのは持ち合わせていません。もちろんその勢いだけで書いた小説は大体空回りしたりもするので善し悪しなんですが、いずれにしても「まだ書き始めていません、またいつ書き始められるかも分かりません」というのが現状だったりします。

 

目標とかが明白にあれば良いのかも知れないんですけれどねぇ。例えば、誰か作家の方の大ファンで、その方が辿った新人賞からの足跡を辿って自分もデビューしたいんだ、とか。他にも例えば、好きな作家がいて多大に影響されていて、そんな世界観を書きたいだとか。まず自分、殆ど小説読まないんですよね。既にそこで致命傷な気もしますが。古典は一応昔読んでいたのである程度は蓄積的なものもあるのかも知れませんが、それが必ずしも活きるか、と考えた時、やっぱりちょっと疑問だなとも思います。小説の世界にもやっぱり流行廃りの様なものがあります。それこそ私小説なんて今時なかなかお目に掛かる事すら難しいように思えます。うーん、それか私小説書く人はエッセーという新しい時代的なジャンルに移行しているのかも知れませんが、取りあえず「私小説という書式」が随分古ぼけてしまっている「廃れた書式」になっているのは認めざるを得ないところかな、と。

 

私自身、このブログでもそうですし思索帳でもそうなんですが、考え出すとひたすら深掘りをしていくタイプの思考パターンを持っている人間です。だから、と言うわけでもないんでしょうが、エンタメ小説にはちょっと苦手感があります。上で書いた長文小説については完全にエンタメだったんですが、どうしてもマンガ的になってしまう。マンガに関して言えば、少年マンガから少女マンガ、ボーイズラブに至るまで幅広く読んでいた私ですので、そういう意味では「マンガ的小説」、いわゆる『ラノベ』が向いているのかも知れません。ただラノベの世界って、私にとってはあまりに異質なんですよね。小説紙面でいきなりフォントが大きくなったりして。これって小説じゃないじゃん、という意識があるんです。断片的知識から来る差別的意識かも知れませんし、また『ラノベ』という言葉で一括りにし過ぎているきらいはあると自分でも思いますが、ラノベの世界には入りづらいなぁ……とやっぱり思ってしまうのです。

 

そうなると、結局私の書く小説は純文学系になってくるんですけれど、それにしては小説読書量の蓄積が足りない。ハーフ&ハーフみたいな、エンタメと純文学のあいのこみたいな新人賞があれば是非狙いたいのとか都合の良い事を思ったりもしますが、うーん、私の検索力ではそこまで都合の良い賞は見つかりませんね……と言うか、2012年長編小説脱稿から早5年が経つので、新人賞の世界も少し様変わりしている可能性だってあります。ここはもう一度1から情報収集を始めた方が、新人賞受賞狙いで行くのであれば「正しい選択」なのかとか、それより筆力上げる為にとにかく書こうよとか、いやいやもっと思索を深めて深い小説書けるように努力した方がとか、自分の中でのベクトルが定まっていないのでもーシッチャカメッチャカという状態が、今のリアルな私だったりします。

 

調査なり執筆なり思索なり、いずれの方向であっても動き出す事が一番大事、というのは頭では理解出来ているのですが、これがなかなか機能しない。日記思索帳は苦も無く書けるんですが、いざ作品を作る前提として何か考えようとしてしまうと、そこで頭がフリーズして今宇野です。今、書きかけのエッセーとかもあったりするので、まずはそれの再執筆開始辺りから始めるのが良いかな、とかも思ったりするのですが、やっぱり腰が重い。逃げてばっかりじゃイカンのは分かっているんですけれどねぇ(~_~;)

いずれデビューはしたい。いずれ。

メジャーデビューしたい、という思いは常にあります。自分の場合、名誉欲とか地位とか言うよりも、自分の作品・思想が広がって欲しいという意識がコアになっています。元々同人期に於いて「言葉で世界を革命する!」という中二病チックなスローガンを標榜して執筆していた人間なので、何処か哲学的・思想的な意識、というのは持ち合わせています。単なるエンタメで、駅のキヨスクで売られて「移動時間に読み捨てされる作品」というのは、そもそも書きたくない。まぁそんな事に拘っているからデビューも出来ないのかも知れませんが、こればかりは自分の核となる部分ですので譲る事が出来ません。思想信条の部分で人に対して影響を与えていきたい、というある意味相当傲慢な意識、これこそ、私の原動力であると言っても過言では無いです。

 

ただ、今の今は、うつから明けたばかりで、コアが弱いんですよ。自分の思想、というのを固持出来るほどには、まだメンタルの強靱さが無い。また同時に、2ヶ月という自分の中では長いうつ期(大うつ病の場合はもっと長いですが、ラピッドサイクラーな私の波としては、今回のは異例の長さでした)をひたすら「寝て逃げる」事で過ごした事で、自分への自信、というものも一部欠損してしまっている、というのが現実です。どこから手を付けたらいいのやらなぁ……自分でもまだ、効果的なきっかけ、というのが見いだせていないので、今は取りあえず「キーボードとまた仲良くなる事」をまず当面の目標として、この記事もまた執筆している、というのが実情です。

 

デビューしたいなぁ。夢の印税生活。

いや別にリッチになりたいとかは無いんですが、躁うつ病という障害があっても「私は○○です」と堂々と名乗れる職業としての『作家』というのは、私にとって魅力だったりもするわけです。今は「自営業です」と名乗っていますし、公的書類などは全てそれで記載をしていますが、いざ自営業の中身を聞かれると、実に弱いわけです。「ライトワーカーです」とストレートに言って理解してもらえるなんて、1,000人に1人いるかどうかじゃないかなとも思いますし。

 

作家になりたい病は、昔も今も相変わらずです(苦笑)。

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